バクシーシとチップ(20100124)
途上国と呼ばれる国に来ると、
必ず目にする社会問題がある。
それが“物乞い”
初めてこの問題を目にしたのは、
約二年半前に初めてタイに旅行に来た時で、
以来海外を回る度にこの問題にぶつかる。
最初のころは、すれ違う人たち皆に少量のお金を渡していた。
いわゆる“バクシーシ(ほどこし)”だ。
ただ、海外渡航の期間が長くなり、
遭遇する物乞いの数が増えるようになるにつれ、
バクシーシを与えることはなくなった。
理由は沢山あるが、
「根本的な解決にはならない(=彼らの生活は変わらない)から」
というのが大きな理由である。
ただ、今日出会った彼は物乞いと呼ぶには相応しくなかった。
盲目ながら、路地隅に座り、実に上手な歌を歌っていた。
こういう人に対しては、チップを渡すことにしている。
“ほどこし”はなく、“サービスへの対価”という意味でだ。
心なしか、道行く人も彼に対してチップを渡していたように見えた。
少しだけ、心が軽くなって歩いた帰り道の途中、
大きなことを見落としていたことに気付く。
「彼に支払ったお金は一体誰のもとへ行くのか?」
答えは・・・
彼を使っている、利用している人間の元である。
なぜ彼が歌を歌えたのか?
なぜ彼が人通りの多い道の路地裏にいたのか?
なぜ彼の目が「つぶされて」たのか?
答えは、彼の裏にいた誰かがよく知っているだろう。
“富める者から貧しき者へ”
この国の80%の人々が信仰するイスラム教では、
富める者はそれで贖罪し,
貧しき者はその罪から富める者を救うのだと言われている。
彼は、本当に富める者を救っているのだろうか?
この日、ここバングラディシュで世界2位(参加者300万人)の規模となる、
イスラム教のお祭り(ビッショ・エステマ)が開かれた。
盲目の彼が、そのお祭りに参加できることは、おそらく、ない。
アッラーはこの景色を見て、何を思うだろう?
泣きながら、故郷の母を想う(20100125)
ここバングラでは、毎晩寮で自炊をしている。
仕事の後のご飯は、実に美味しい。
この日は自分が料理を担当し、
みそラーメンを作ったわけだが、
玉ねぎがなかなかの強敵である。
涙で前が見えない・・・。
人間はこんなにも簡単に涙が出るのかというほど、涙腺が緩くなる。
おそらくこの旅で一番涙を流すのは、玉ねぎに対してだろう。
泣きながら、故郷の母を想う。
母は、偉大だ。
玉ねぎを何個切っても涙が出ない。
仕事もあるのに、毎晩玉ねぎと戦って(夕飯を作って)くれる。
旅で自炊や洗濯をする度に、母の偉大さに気付く。
女性は、強く、たくましい。
この日、世界一周をしている(いた)女性と出会った。
まだ20歳とのことだった。
もちろん彼女はマイノリティだと思うが、
女性のアクティブさには驚かされる。
グラミン銀行やBRAC等の活動により、
女性の地位が徐々に上がりつつあるバングラ。
男性も負けてられない。
まずは、玉ねぎに負けない男になろう。
Glocal(20100126)
爆発音で眠気がふっ飛んだ。
頭上から落ちてくる火の粉。
集まってくる人だかり。
泣きわめくカラス達。
そう、それはまるで仲間に捧げる鎮魂歌のように・・・
・・・実際に鎮魂歌だった。
つまり、
死んだのはカラスで、
死因は絶縁体が剥がれた電線に触れたことによる感電だった。
哀れなカラス。
ただ、問題は絶縁体が剥がれた電線がこの街には無数にあるということだ。
これは危険である。
子供達が遊び半分で電線に触れて感電死したケースは、多分年間1桁ではないだろう。
また、たび重なる停電も、電線の整備不足にある程度は起因するだろう。
このような問題に対して、支援(協力)を行う日本の機関がいくつかある。
その一つが“JICA(国際協力機構)”
今回の渡航でどうしても見学したいところであった。
この日は、カラスの事故の後、JICAオフィスを訪ねた。
以前バックパックを背負って突然押し掛けたときとは異なり、
今回は事前にアポを取っていたので、
資料も用意してもらい、丁寧にJICAバングラディシュの案内をしてもらった。
気付いたこと、初めて知ったことは沢山あったが、
複雑にリンクする問題と、その規模を目の当たりにし、
改めて援助(協力)の厳しさを知った。
幼いころ、「世界平和」と短冊に書いたことがあった。
その道は険しく、先人達が願い続けているにも関わらず、
未だに多くの人が嘆き、悲しみ、苦しんでいる。
けど、決して止まってはいない。
この国の識字率は年々上昇しており、
小学生の年代である子供たちの識字率は9割を超えた。
一つ一つの積み重ねが、この9割という数字に繋がった。
“Think global, Act local”
世界平和は、あきらめない。