牛と業(20100118)
タナリー(皮から革を精製する)工場へ。
“百聞は一見にしかず”の言葉の通り、
聞くと見るとでは大違いだった。
視界を埋め尽くすような生の皮に、
鼻を刺す何とも言えない匂い。
お世辞にも、是非働きたい仕事だとは思えなかった。
国自らが積極的に導入してる事業だとも思えなかった。
この国には他の先進国から押し付けられた仕事が沢山あるように思えてならない。
けど、そんな仕事も誰かがやらなければ非常に困るものであり、
産業の基盤として、多くの人の生活を支えてる。
生々しい牛の皮たちを見る少し前に、
ビーフビリアーニ(牛と炒めたご飯)を腹一杯食べたのを思い出した。
仏教で“業”という言葉が指すように、
これが僕たちが住んでる日常なんだろう。
受け入れ、
そして感謝しよう。
マメ(20100119)
マメができた。
バングラで働いて生まれた、
“恥ずかしい勲章”だ。
野球をしてた頃を思い出す。
バットを数振らなければできないマメ。
潰れたマメの数に比例して、
ヒットの数も増えていった。
だから、勲章だ。
でも、
次第に力加減を覚え、
更にマメを潰す度に手の皮は強くなり、
マメが出来なくなる。
つまり、マメが出来た自分はまだまた未熟な訳だ。
だから、恥ずかしくもある。
ここに来た初日、
握手した皆の手は厚くてマメもなかった。
一つの技を磨く。
野球ともの作りとを重ねながら、
その道の険しさを身る。
きれい(20100120)
きれい・・・って何だろう?
インドに最初来たとき、
1番最初に思ったことは「きたない」だった。
誰でも初めての光景には身構え、
ときに畏怖するものだと僕は思ってる。
だから、バングラの人たちに対して最初身構えたのも、
路上に放置されたゴミの山を見てきたないと思ったのも、
どれも自然な反応だと思ってる。
でも、馴染んでくると自分を守る偏見という名の鱗が剥がれてくるのが分かる。
例えば今日、工場のすぐ手前にある果物屋(屋台)のおばちゃんから、
昨日も来てくれたと言うことでブドウをタダで僕にくれた。
ハエはついてたけど
・・・っていうと、「きたない」って思うかもしれないけど、おばちゃんの心は凄い「きれい」に違いない。
顔がしわだらけになる程の笑顔をくれたおばちゃんと、
その隣りで僕達のためにリキシャの価格交渉をしてくれる息子さんを見て、
ブドウが本当にきれいに見えた。
目から鱗が落ちたと言うのは、
こういう時にこそ相応しいのかもしれない。
これで明日お腹が痛くなっても本望だ。