2008年8月、中国北京に笑顔の花が咲きました。
オリンピックの開会式に登場した2008本の笑顔の傘。世界中の人々を感動させた作品でした。
この作品を生み出したのは、日本を代表するアートディレクターの水谷孝次さん。今回は水谷さんによる”デザインの奇跡”をご紹介しましょう。
数億円の広告の先に見たもの
水谷さんは元々日本のトップグラフィックデザイナー。有名企業の広告やポスターの数々を手がけていました。
そして訪れた日本最大級の仕事。有名なハリウッド俳優をモデルにした広告制作の依頼があり、アメリカの写真撮影に同行しました。
しかし、1日で数億円も使った撮影はたったの数分で終了。広告業界のトップに上り詰めて見えた景色は、何ともむなしいものだったそうです。
そんな深い悩みを抱えていたとき、水谷さんに光が訪れます。
Merry(メリー)という答え
やってきたのは、写真展の企画でした。水谷さんがアメリカ旅行中に撮影した写真を、渋谷のホールで展示会をしないかという誘いでした。
悩んだ末に、実施に踏み切りました。その結果、写真展は大好評の成功をおさめ、水谷さんは人を笑顔にするデザインに魅力を感じました。
「デザインを通じて、世の中を明るくしたい」
デザインを始めた原点に戻った水谷さんは、世界中の人に「Merry(楽しいこと・嬉しいこと・夢)」なことを聞きながら笑顔の写真を撮り、一つのデザインとして発信し始めました。
これが「Merry Project」の誕生です。
デザインが奇跡を起こす
水谷さんは笑顔とMerryが溢れる写真を使って、人々を元気にするデザインに打ち込みました。阪神大震災、911事件、世界中で苦しむ人たちを笑顔にするために「Merry Project」を展開したのです。
そして訪れた2008年。オリンピックの開会式で笑顔の写真を集めているという声を聞き、水谷さんは自ら中国に行って「Merry Project」の魅力を説明し、笑顔の写真を提供しました。
中国の厳しい規定により、何度も断られた水谷さん。それでも最後まで諦めずに交渉を重ね、ついに2008本の笑顔の傘が開会式で花開いたのです。
絶対無理だと言われてた壁を突破したのは、水谷さんの「夢」と、世界中から集まった「笑顔」の力でした。
今回のカギ
水谷さんたちのMerryな挑戦は今も続いています。特に東日本大震災以降は、東北の人々と一緒にMerryな町づくりに挑戦しています。
私自身、水谷さんの講演に何度も足を運んでいますが、一番の学びは、
■本当に強い気持ちがあれば、世界はきっと変えられる
ことでした。
素人デザイナーが日本トップになったのも、「Merry Project」が中国の規定を超えたのも、水谷さんの「強い気持ち」があったらからに他なりません。
夢や情熱を持つことがどれほど素晴らしいか、考え直す機会を私に与えてくれた本です。良かったらぜひご覧下さい。
関連情報
「Merry Project」のiPhoneアプリがあることをご存知でしょうか?誰でもMerryな瞬間を描くことができる素敵なアプリです。興味ある方は本と合わせてアプリもぜひ!