【士の下にある心】これからも「海と生きる」と決めた、東北・気仙沼の人々の”今”

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まだまだ爪痕が残る東日本大震災。

被害にあった人たちは今、何を思って、どう行動しているのか?

この週末、その一部を知ることができましたので、ぜひ紹介させて下さい。



 

海に全てを奪われた気仙沼

気仙沼は宮城県の中でも水産業が盛んな港町。

海を中心に栄えた町は、昨年の3月11日の震災で数えきれないほどのものを失いました。

今週末、社会イノベーター公志園という大会で気仙沼に来て、多くの方々と会話し、当時の様子から今までの奮闘を教えて頂きました。

気仙沼で会おう!-社会イノベーター公志園 創造的復興フォーラム-

 

2011年3月11日

テレビよりもずっとリアルだった気仙沼の方々の震災の体験談。

沢山の方々から震災当時の様子を丁寧に教えて頂きました。

3月9日に小さな津波があってから少し警戒していたこと
実際に来た津波は想像を絶する破壊力があったこと
流された家が、他の家にぶつかる騒音が忘れられないこと
海に流れた重油が3日間燃え続けていたこと
4日ぶりに再会した家族全員でひたすら泣き合ったこと

想像は追いつきませんでしたが、震災が身近なものだということを改めて学びました。

 

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2012年7月19日

あれから1年4ヶ月経った今、気仙沼の人たちは復旧の段階から復興の段階へと進んでいました。

詳しくお話を聞かせて頂いたTさんは、気仙沼復興協会 -KRA- で日々気仙沼の復興に尽力されていました。

震災によって、家族と一緒に暮らせる有り難さと、仕事のやりがいを見いだすことができたと話してくれたTさん。

Tさんだけでなく、他の方々も「今こそ私たちが変わるチャンスだ」と目を輝かせていたのが、本当に印象的でした。

 

志の下の心

Tさんを動かしているものは何なのか?

Tさんは、震災で亡くなった友人や会社の同僚の存在が一番大きいという話をしてくれました。

「たまに彼らが背中を押してくれている気がする」

亡くなった方々の想い(心)は、Tさんのような方々(士)を動かす大きな力になっているのでしょう。

 

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海と友に生きる気仙沼

気仙沼は復興に当たって、昨年10月復興計画のキャッチフレーズを決めました。

海と生きる。

確かに海に全てを奪われたけれども、これまで海からそれ以上の恩恵を受けてきた。

海が大好きだった街の人たちと共に、もう一度海が輝く街を作りたいと心に誓う気仙沼の方々。

「志」のある街はこれから必ず復興し、以前よりも魅力的な気仙沼になると信じて止みません。

 

最後になりますが、この2日間、気仙沼の方々から沢山のパワーを頂きました。

場所や課題は違っても、「志」を持って一生懸命取り組むことの大切さを全身で学びました。

Tさんをはじめとした気仙沼の皆さん、素敵な時間を本当にありがとうございました!

必ずまた来ます!!

@3_wa

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