「勝負をするなら勝ちたい」
きっと誰でもそう思うでしょう。私だってそうです。
しかし、勝負は半分以上の人が負けるように作られています。それが1番を決める勝負であれば尚のこと。100人で競えば、99人は負けるのです。
今回はそんな世界で生きてきた、400mハードルの為末大選手の言葉を集めた本『走る哲学』の中から、心に刺さった3つの学びをご紹介します。
続けるために、止める。
勝つためには続けることが必要です。でもこれが難しい。
為末選手は、続けたもの以上に止めたことの方が多かったそうです。400mハードルも、100mの限界を感じて止めたからこそ行きついた道でした。陸上以外の分野では更に多くのことを止めてきました。
日本の社会では「止めること=悪いこと」という先入観があり、逃げないことや耐えることを叩き込まれます。私も高校野球を通じて、耐えることに随分と慣れました。しかし、耐えられなくなった時のことは学びませんでした。
その結果、大学時代に苦労しました。野球サークルで無茶な練習をして、肩を壊してボールが投げられなくなくなったのです。当時20歳を超えていましたが、いざ自分で新しい道を選択しなければならなくなったとき、新しい一歩を踏み込む方法を知りませんでした。
ただ、いざ野球から距離を置いてみると、自分がどれだけ野球を好きだったか知りました。最終的には4年間野球サークルに所属し、野球を続けることができました。
止めることで好きなことに気づき、続ける気持ちが生まれたのです。
好きになるために、休む。
続けるためには好きになることが重要です。でもこれも難しい。
私が高校球児だった頃は、毎日最低200回は素振りをしました。「振らなければ打てない」という根拠のないプレッシャーに押され、バットを振る回数は一日500回まで増えました。手はマメだらけです。
そんな時に起こったアクシデント。試合中のクロスプレーで手を痛めて、バットを一週間ほど握れなくなりました。練習できない焦りでいっぱいでしたが、2~3日もすると新しい気持ちが芽生えました。
「バットを振りたい」
バットを振ることが、ボールを打つことが好きだったことを思い出しました。休むことで、好きなことが見えてきたのです。
続けようとしていたら嫌になり、休んだら好きになる。これは大きな学びでした。
自分であるために、周りをガッカリさせる。
好きであるためには自分であることが大切です。でも、これが本当に難しい。
難しい理由の一つは、周囲の期待です。為末選手も、周りからの期待を超えようとして挑戦し続けました。しかし、世の中に認識される喜びを感じながらも、他人からの評価にどこか虚しさを覚えたそうです。
変化が訪れたのは大阪世界陸上。まさかの予選敗退によって、周囲からの評価が大きく変わり、為末選手の中の何かが壊れました。望まれていた理想の自分が壊れ、最後に残ったのは、走ることが好きなありのままの自分でした。
私も肩を壊して野球ができなくなった時、手を痛めて練習を休まなければならなくなった時、周りからの期待が一つ減る代わりに、自分が好きなことを思い出すことができました。
自分らしく、好きなことを好きでいるためには、周りからの期待に反した行動がもしかしたら必要なのかもしれません。
今回のカギ
『走る哲学』を読んで最も心に刺さった言葉はこれでした。
勝つためには続けること。続けるためには好きになること。好きであるためには自分であること。
この言葉には続きがあります。
続けるために、止める。
好きになるために、休む。
自分であるために、周りをガッカリさせる。
走りながら見つけた哲学を確かに感じ取ることができました。
■勝つためには続けること。続けるためには好きになること。好きであるためには自分であること。
私も実践してきます。