“最強の2番バッターになります”
これは約1年前の入構式のときに、役員の方々全員に対して宣言した言葉です。思えば、野球一直線であった高校時代、1番から9番まで一通りの打順を経験しましたが、最もしっくり来たのが2番バッターでした。
一番バッターが塁に出れば、自分を犠牲にしてでも前の塁に進める。
一番バッターが塁に出れなければ、何としてでも塁に出て次のチャンスを作る。
ヒーローインタビューに立つ回数は少なけれど、チームへの貢献をしっかりと感じることができる。私はこの打順が好きでした。今思うと、これが国際協力を志す原点だったのかもしれません。
そして約1年と2カ月前、新しい夢と出会いました。
この時の喜びと興奮を今でもはっきり覚えています。
甲子園を目指した高校時代、
東京大学を目指した浪人時代、
いづれも叶わぬ夢でしたが、
得たものは多く、夢を追っていた毎日が充実していました。
それに対して、何かが満たされていなかった大学時代。
埋まらなかった最後のピースを埋めてくれたのは、
同じ大学の後輩と、バングラデシュの大学生の二人でした。
「ICTの力を使って、この国の教育格差をぶっ壊す!」と熱く夢を語る篤快、
「僕の故郷のような貧しい村の学生に、希望を与えたいんだ!」と全力で応えるマヒン。
この二人に加え、農村部の子供たちの目の輝きと逞しさを見て、何としても彼らの背中を押したいと思いました。
そして2番バッターとしてのやりがいを知る
夢が動き出してから、あっという間に時は流れました。
社会人としての一年目は、想像以上に新しいことだらけでした。自分の無力さを知ると同時に、人の一生では解決できないであろう課題が、世界中に存在することに絶望しかけ、前に進めなくなりそうな時期もありました。それでも、近くと遠くで頑張るパートナー達を見て、立ち上がる元気と、前に走る気概を分けてもらいました。
そして2011年4月17日。
この日をもって、私がどうしても叶えたかった3つの夢が実現しました。
■1.ダッカ大学合格を決めたヘラルをはじめ、農村部の学生が難関大学に合格したこと
■2.それを実現した篤快が日本で多くの人から評価され、次のステップに進めたこと
■3.それに伴い、親友・マヒンの来日(&講演会)が実現したこと
17日に開いた講演会は、まさに私が昨年から想い描いていた最高の絵でした。
自分のこと以上に、彼らが評価されることが嬉しくてたまりませんでした。
野球を始めた頃、2番バッターってなんて地味な役割だと忌み嫌っていました。しかし、高校時代、本気で仲間と一緒に甲子園に行きたいと思った時、初めて2番バッターの素晴らしさに気がつきました。そして、今回の経験を通じて、気付きは確信に変わりました。
自分の立ち位置(打順)がようやく固まってきました。
試合はこれからです!
上記の通り、打順は決まりましたが、これからが本番です。
まだまだ試合は始まったばかりです。
これからも、前に進もうとする誰かの背中を押すことができるような、
そんな一流の選手を目指して日々頑張っていきます。
この夢をこれまで後押ししてくれた全ての方々、
本当に、本当に、ありがとうございました。
今後もチーム・ドラゴン桜をどうぞよろしくお願いいたします!